2002/10/10 延岡のデザインとは
延岡の皆さま、御無沙汰しております。
先日、都市景観賞の選定にお手伝いをしていましたら、板田橋の祇園町よりの橋のたもとにあるUMKビルがノミネートされていました。
築20年程の一面、白いタイル張りの瀟洒なアパートで、それほど古さを感じさせない、シンプルな見栄えのいい建物です。
7階建の白いビルは遠方、南対岸の中央通りから望め、新築時はさぞかし、他を圧した威容であったと思われます。
しかし、当時の記憶は哀しい景観でした。それは、各室のベランダのフェンス越しに干されたたくさんの布団が白亜のビルをあざ笑うがごとく、無節操な色彩でそれを彩っていました。
対岸からは目を覆いたくなる風景でも、アパートの住人の大半が、自分の住まいに布団を干して何故悪いと開き直っていたみたいです。
さて、20年を経た今日、南側のベランダには布団一つ見当たりません。環境に関する美的な配慮もようやく板について、人間も成長するもんだなと感心していましたら、…なんのこったぁない、アパートの住人がほとんどいないだけのことでした。
1Fの店舗もがらんとした静けさで、昼間と言え、明かりのつかない部屋の暗さは実に不気味で索漠としたものです。延岡の不景気を象徴するような、この無人の「美観」をどのように評価すべきでしょうか
何となく、ベランダに鈴なりのミスマッチな布団干しの風景が懐かしく、元気であった街が思い出され、感無量でありました。
おそらくこのような状況は、延岡だけでなく、地方都市のほとんど(旧市街地)が”大きな流れに”何すべもなく、身をゆだねているようで、暗たんたる思いがいたします。
本当に復興のその手だてはないのでしょうか。大きな流れを解明したり、解明できずともその対策にいろいろの選択肢を準備したり、目標を定める努力がまだまだ足りないような気がします。
世界規模の構造や流通や価値観の変容ですから、個々の力では限界があります。自治体はそれぞれのグランドデザイン(政経をひっくるめた統一した未来像)を作り、その目標に向かってのプログラムを作成する必要があると思います。”そんなことは国がやってくれるよ”と忠告されそうですが…。
もしかすると、その依存心や信頼が現状を招いたことかもしれません。
グランドデザインの創造や出発点は郷土です。文化や地理や自然や経済基盤はそれぞれ固有のものです。そのオリジナリティにスタンスをおいての発想は国でやってくれません。 「水と緑と歴史の生活都市」なんて言う標語は日本中いたるところで見られるお題目です。
”延岡の水と緑と歴史がこれからの産業にどんな結びつきをもって、私たちの生活を豊かにするのか”のそのプログラムをいまだ、一度だって聞いたことはありません。今できなくとも、次の世代に夢を与えることができればと切に願つております。
Works
2009.1.10
2009.1.6
ホームページ企画・制作事業
いよいよ始動。
SEO対策事業を開始。