拝啓
今朝、少々早起きしてフロッピーを整理していたら、平成13年度末にドイツ在住の日本婦人に出した手紙の原文が出てきました。読み直してみると、今もあまり風化していないようですので貴兄にも送ります。
文中にある「クラウビヴイツの理論」というのは、プロシヤの将軍(建国時代)で、「戦争論」という著書にある理論です。この一句は歴史の名句として現在でもスピーチなどによく引用されます。現在のイラク問題に照らし合わせてみても、生きる言葉です。
今朝の経済ニュースを聞いていたら「賃下げの時代」というテーマで、サラリーマンの給与がカットされる時代に入った、というノドカナことを解説者が言ってました。
このような時代にはすでに一年以上前から入っているのであり、それが労組でさえ対抗できないほど顕在化してきたので、ようやくニュースで取り上げるようにした、ということなのでしょうが何とのどかなこと!
もっとも唐代の詩人は「桃花流水容然去(とうかりゅうすいようぜんとさる)と言っております。
「桃の花はときがくれば咲き、流れる水は高いところから低いところに流れ落ちていく」という一句は、デフレで振り廻されている日本人にとっては、救いになるかもしれませんね。イヤハヤ。
(以下手紙より)
日本の年の瀬は、なにやらあわただしいだけのような気がします。新宿(私の住居から一番近い繁華街です)を歩いていても、気ぜわしげな人の動きを感じるだけで、全体が発するエネルギー、熱気を感じません。
景気後退の影はいかんとも拭いがたく、日本もついに「日本株式会社(護送船団方式とも言いますが…)」のシステムを根底からやり直さなければならない崖っぷちに追い込まれたようです。
考えてみれば当たり前のことで、日本がいままで「右肩上がり(グラフの線が、右に向かって上がっていくこと。
つまり数字が常に延びていくこと。この言葉の場合には『経済発展』を意味します)」の繁栄を謳歌できたのも、第二次世界大戦から世界がただちに「東西冷戦」に突入して二大陣営に分かれ、かつ日本はその最前線に参加することなく「ただひたすら商売にかまけていればよい」といった極楽のような世界にいることができたからであり、冷戦が終わって世界が「労働力と販売の市場」で一つになってしまえば、極楽のような仮の世界は蜃気楼のように消えてしまい、メガ・コンペティション(世界同時の大競争時代)という非情な現実が目の前に立ち上がってきて、極楽を直撃したのも当然といえば当然です。
日本は、ご承知のように社会的コストが馬鹿高くなってしまっています。判りやすい例としてレストランの食事をとれば、ドイツの倍乃至3倍です。「人件費がそれだけ高いから」というのが主な理由ですが、冷戦の終結で隣国中国には「日本の人件費の30分の1で働く、優秀で勤勉な働き手」がいる「労働力の市場」が誕生しました。労働力を供給する人口は14億あります。
さらにハイテク産業に至っては、インド5億の人口が控えています。(アメリカがこの10年、この2国からハイテク技術者を大量に招きいれたのは、ご存じだと思います。)
質のよい労働力があり、工場用地など(資金が固定してしまう)投資にそれほど金がいらず、高度な生産技術が自由に移転できて「生産される製品のクオリティーが、日本のモノにひけをとらない」となれば、日本の企業といえども生産コストの高い日本を離れて中国やインドに生産基地を移すというのも、これまた当たり前のことでしょう。
企業は「企業の論理」で動くのであり、その意味では国や民族の概念をやすやすと超えるものですから。日本経済新聞の記事によれば「このままの状態が続けば、2010年までに日本の製造業の3分の1は中国に移転する」とありましたが「それはそうだろうな」というのが私の印象です。
日本にとって問題なのは、いつの日本の時代の歴史でも発生する「国際化時代に対応するのに、いかにも準備不足」ということでしょう。高度成長を達成するまでの日本は、それでもトップランナーのグループにいなかったからショックは少なかったのでしょうが、いまでは世界のGNP(総生産)の15パーセントを生産(アメリカの25パーセントについで2位)する巨大国家です。
そこから生産手段と労働市場が失われれば、あとに残るのは巨大なヌケガラだけ、となります。「その日が現実のものになりかねない」という警鐘が、いま日本を覆っているデフレ(不景気)だといっても過言ではないと思います。
日本の場合、ドイツのように「非情な東西対立の歴史」をくぐりぬけていません。人間に対する考え方もどこか自己中心的で、見方が甘いように思います。
一つの例が失業率であり、5.5%程度で大騒ぎをしながらもどこか腰が引けていて、失業をうみだす情勢に果敢に立ち向かっていこうとする個々の意志や姿勢が感じられません。
ジョブ・シェアリングも及び腰です(ついでながら私はこの方式は、ヨーロッパ〜例えばオランダ〜で成功したようにスンナリと日本には当てはまらないと思っています。
「仕事を己の手だけに囲い込もうとする思考方法が許され、かつそれを『是』とする社会。社会の成り立ちが純粋な意味で『市民社会ではない社会』では<一人の仕事を2つにわけて二人でする>というロジックは、もともと日本人が理解するのに難しいものではないのか」と思っています。
Works
2009.1.10
2009.1.6
ホームページ企画・制作事業
いよいよ始動。
SEO対策事業を開始。